開成、灘、筑駒、麻布…難関校って、一体なんだ?〜時代と共に変わる評価と偏差値

難関校名門校とうたわれる学校がいくつかあります。

なかには名門幼稚園、といったものもあり、それが大学まで続いたりしますね。


マスメディアや塾業界によって喧伝され、いつの間にかそう扱われるようになった学校も多いでしょう。


そんな難関・名門とされる学校とは、そもそも何なのか? 

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偏差値という指標


多くの場合、偏差値が高ければ高いほ、難関校と見なされます。

実際、それと連動するように倍率が上がったり問題が難しくなったりしますよね。

この偏差値をここまで積極的に導入し、指標としているのは、日本だけだと言われます。
(ちなみに偏差値が広まったのは、1960年代あたりからと言われ、完全に浸透したのは80年代以降かと思われます)

また、地域によって偏差値の意味合いが違ってきます。

たとえば、都市圏の偏差値50の学校と、地方の偏差値50の学校は、同義ではありませんし、その優劣も図れません。

だから、偏差値を過度に鵜呑みにし、その学校の印象付けをしない方が良いと思います。

(よく偏差値100の名門!、というのがたまにテレビに出たりしますが、偏差値は0~100の範囲を示すわけでありません。100以上になることもあるし、逆に0以下になることもあります)

とはいいつつも、全国的に名を轟かせる難関校が、軒並み高偏差値なのは事実。

具体例を挙げてみましょう。

灘・開成・筑駒……トップ偏差値の3校


灘中学・高校は兵庫県にある私立校です。

中高一貫校ですが、高校からも募集を取ります。

その偏差値は78

入試は二日間に渡って行われ、関西圏からだけでなく全国から受験者が集います。

また高校受験は、中学受験からのリベンジ組が多く集うことから激戦と化します。

おそらく日本一入るのが難しい高校と言っても過言では無いでしょう。


次に開成高校

こちらも中高一貫校の私立校。

東大合格者数が30年以上連続でトップということで知られていますね。

偏差値はやはり78

そして筑波大学附属駒場高校、通称筑駒

これは国立の中高一貫校で、やはり高校募集があります。

文京区にある筑波大附属と違って、男子校となっていますね。

筑波大附属とは名ばかりで、大半が東京大学に進学します。

東大合格率だけで言えば、開成や灘を抜いてトップです

偏差値は同じく78とされます。

中学受験失敗からのリベンジ


上述のとおり、上記で挙げた学校は、中学受験で失敗した層が、リベンジとして高校も受けることが多いです。

ただし、高校募集は中学よりも募集人数が少なく、結果として中学入試の時よりも激戦となるわけです。

ちなみに灘高校は中学が180名を募集しているのに対して、高校は40名

開成は中学が300名に対し、高校は100名

筑駒は中学が120人に対し、高校は帰国生徒枠を含めて約40人となっています。

東大進学実績の影響力


上記3校のような学校は、なぜこれほどまでの偏差値と人気を誇っているのでしょうか?

それはやはり、東京大学を頂点とした進学実績があまりに大きいからです。

例えば2017年の東大合格者数ランキングトップ3はこんな感じです。

1位 開成 162名(現役104名)
2位 筑駒 102名(現役74名)
3位 灘  95名(現役75名)


この数十年間これが変わっていないわけで、自然と知名度は上がっては難関校と化します。

その結果、高偏差値になるのは当然といえますよね。

かつては滑り止めだった名門校


開成や灘といった私立校は今でこそ、自他共認める名門校となっています。

ですが、かつてはいわゆる滑り止め校に近かった、というのはあまり知られていないことかと思います。

かつて、というのは戦前から戦後直後にかけての時期です。

この頃の進学校といえば、府立(今で言う公立)のナンバースクール官立(今で言う国立)の学校が頂点にありました。

開成の場合、府立一中(現在の都立日比谷高校)などに落ちたので、仕方なく開成に行った人も多いそうです。

有名な例では、ナベツネこと渡邉恒雄氏は志望校に落ちて、第4志望校だった開成に泣く泣く入った、という逸話があります。

その時、渡邉氏の母親が親戚の前で「あんな学校にしか入れなくて、情けない」と泣いたとも……
今ではまったく考えられない話ですね。

の場合も、やはり神戸一中(現在の県立神戸高校)などに落ちた場合の滑り止め校でした。

この時期に入った有名人といえば、作家の遠藤周作氏です。

氏のエッセイによれば、「勉強なんかせず」、「やんちゃばかりして」、「殴られるために通っていた」のだとか。

東大合格者に関していえば、戦後になっても1960年代まで圧倒的に国公立校の独擅場でした。

当時のランキングを見ると、日比谷が首位を独走し、次いで西戸山小石川新宿、といった旧ナンバースクールが続きます。

この状況が革命的に変わったのは、学生運動が吹き荒れる60年代末です。

1968年には日比谷を抜き、灘が東大合格者1位になります。

そして学校群制度導入1969年の東大入試中止ターニングポイントとなり、70年代からは私立校が力をつけて、現在に至ります

ちなみに筑駒(当時は東京教育大学附属駒場)は、当時から変わらない地位にあります。

時代と共に変わる名門難関校


以上、灘・開成・筑駒を3校を例に、難関校とは経緯を記してみました。

注目すべき点は、名門校の地位は時代と共に変わってくる、ということでしょう。

たとえば、豊島岡女子学園は、今や女子御三家と並び称されている難関校ですが、かつてはここまでの知名度はありませんでした。

新興校で言えば、渋谷教育学園幕張・渋谷の2校も、開校からわずか30年ほどで現在の地位にあります。

逆に、「かつては最難関校だったけど……」とされる学校もあります。

特に私立校に多いですが、十数年前の日比谷高校なども進学実績面から、そういった見方をされていました。

進学実績だけでその学校の優劣を図られるべきではありません。

ですが、難関校を目指す以上、そのあたりは知っておいて損がないかと思います。
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tag : 中学受験,高校受験,筑駒,開成,灘,東大

2018-03-23 17:02 : 学校情報 :
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